さんぱちろく

  • ここに載せているのは、8・8・8・6で作られる(8は3と5、6は3と3で構成) 「琉歌」形式の歌です。
    (「仲風」は5586または7586)
  • しかし、琉歌はもともと沖縄地方の言葉で唄われるもの。そして私はそれを使うことが出来ません。現地の若い人たちが標準語に近い形で唄われる例もあるようですが、いずれにしても伝統を守ろうとしている方々の意に沿うものではなく、少々後ろめたい部分もあります。
  • さらに辛いところは、私は沖縄に強い縁がある訳では無いという事です。(訪れた事はあります。)土に人にウタに十分に触れておらず、さらに深く勉強したわけでもない…。下手をすれば、理解不足による文化の曲解と強奪ということにもなりかねません。
  • …と思いつつも、やってみたい気持ちが抑えられなかったのは、興味深く心動かされるような土地とウタに出会ったため、そして「和歌とはどんな風に違うのか?」体験を通して確かめてみたかったためです。
  • 色々書きましたが、“やってみたがりの独り言”として、ご容赦いただけると幸いです。
  • >好きだとを思う歌いくつか



色褪せた紅葉 枝を離れたら 主の膝元へ 散っていこう


明けて白白と 浮かびあがってく 朝の海へ出る 鳥の背中


青りんご1ツ 半分こすれば 甘くほころんだ 顔は2ツ


お金たまったら 何を買おうって 思いめぐらすは 君の好み


心臓の鼓動 やかましい時計 合っちゃずれていく 寝れぬ夜に


クリスマス来れば 町もにぎわって お財布の紐も リボン結び


袖は長くなる 影も長くなる 虫の鳴く夜は さらに伸びる


逃げる素振りでも 蝶の舞い方は 君の目の前を ふわりふわり


夜の塾帰り つい寄るは本屋 参考書見れば 不安増して


月は連れて去る 火・水・木嫌い 金が置いていく 土日やさし


《仲風》寄った睡魔が ささやいて 明日終わらせば いいんだとさ


魚釣れたとき 花がひらくとき 心踊らして 交わす言葉


野辺の花でさえ ときに愛でられる そんな幸運が 僕も欲しい


赤い手のひらの 間から透かす 秋空は高く 青さ眩し


せめて幻で 叶えたい願い 夜の夢すらも ままにゃならぬ


《仲風》春が来たらの 約束は 雪と一緒くた 解けて消える


たまにしか切れぬ 電球が切れて なんて理不尽な 世だと嘆き


酔えば屋根のぼり でかい星呼んで さかずきに沈む ベテルギウス


都会ビル共が 肩を抱き合って 繰り出して行った 夜の酒場


《仲風》電信柱に 酒飲ませ 温かくなった 夏のビール




  • 蛇足コーナー。
  • さて、いくつか作ってはみたものの……圧倒的によみづらい(汗)。減らすべき助詞が省けない。音数を間違える。言葉が合わない。「言葉による文学形式である」というのは、本当なんだと思います。
  • 個人的な感覚ですが、和歌類だとこう、鳥の鳴き方のようなきりりとした緊張感のなかでよむんですが、こちらは波がきてーもどってーきてーもどってーという、少々ゆったりしたイメージ。
  • そして出来ないのはカタチだけでなく、内容も。歌の種のなかに閉じこめられている世界観感性・詠み方が獲得できてませんね…。でも、もう少し試して挑戦してみたいと思います。
  • 本からの知識ではありますが、琉歌は「詠まれ、謳われる」ものだそう。リズムにのせてみたいですね。









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【好きな歌 数個】


あたら月がなし 雲の御衣はづて すだすだと真肌の 拝みぼしやの

あはれ磯端や かしもさびしさの 朝夕さざ波の 音声ばかり

いかな山原の 枯木国やても 無蔵と二人やれば 花の都

思姉のみさじ 守神だいもの 引き廻ちたばうれ 大和までも

かしら結ひかはち 赤糸帯しめて 我身つれて御旅 いまゐやならね

片帆持ちゃげれば 片目の涙落ち 諸帆持上げれば 諸目の涙落ち

里や行きすりの 花と思なしゆら 我身いつまでも 頼でをすが

する墨に涙の玉 散りて入れば 書き流す筆の 先も見らぬ

誰に語りてやり 野辺のきりぎりす 思ひしみじみと 夜夜になきゆが

ねやの戸上あけて 里待ちゆる夜や 花の露待ちゆす かにがあらな

春雨の降れば 恋草やしげて 哀れ摘で呉ゆる 人もをらぬ

文持たす船や 島島にあすが 情積で渡す船 やないらぬ

新北吹く風の 身にしみて吹けば つめて思まさる 里がおそば

見れば恋しさや 平安座女童の 蹴上げゆる朝の 花のきよらさ

夜嵐のたたく ねやの戸はあけて 見れば里や来ぬ 月ど入ゆる

よしむ言の葉や 琴の音にのせて 我袖ひくよりも 別れぐれしゃ

櫓梶音高く 立てるなやう小船 よそ知らぬ 恋の渡りだいもの

わが身しちわが身 あかがらす蛍 闇に身を隠す 方もないらぬ

忘らてやりすれば 夢や橋かけて 夜夜に通はしゆる 縁のつらさ

《仲風》思い深海に 風荒れて 目の緒立つ波に 枕流ち

《仲風》深山のかくれの 岩つつじ いはで朽ちるとも よそや知らぬ

《仲風》雪か霰か 夜半に降る さむさつれなさや 一人さらめ

恩納岳あがた 里が生まれ島 もりもおしのけて こがたなさや

おぞて取て投げる とがもない(ネ)ぬ枕 里が面影 夢にしちゆて(シチュティ)

恨む比謝橋や(フィジャバシャ) わぬ渡さともて 情ないぬ(ネン)人の かけておきやら(ウチャラ)

流れゆる水に 桜花うけて 色きよらさ(ジュラサ)あてど すくて見ちやる(ンチャル)

伊野波(ヌファ)の石こびれ 無蔵(ンゾ)つれてのぼる にやへんも(ニャフィン)石こびれ 遠さはあらな

拝でなつかしや(シャ)や まずせめてやすが 別て面影の 立たばきゃしゅが

瓦屋(カラヤ)つぢのぼて 真風向かて(マフェンカティ)見れば 島の浦ど見ゆる 里や見らぬ

そめてそめゆらば 浅地わないむぱだう(ワネンパド) 烏若羽の ごとに染めれ

手巾持上げれば(ムチャギリバ) 与所の目のしげさ かしらとりなづけ 手しやい(シャイ)招け

伊計離(イチハナリ)嫁や なりぼしや(シャ)やあすが 犬那川(インナガ)の水の 汲みのあぐで

若夏がなれば 心うかされて でかやう(ディカヨ)まはだ苧よ 引きやり(フィチャイ)遊ば

うち招く扇の(オジヌ) 風に誘はれて ねやに入る月の 影のすだしや(スィダシャ)

あらたまの年に 炭とこぶかざて 心から姿 若くなゆさ

おもて花咲かち 艫に虹引かち かれよしのお船(ウニ)の 走る(ハル)がきよらさ(チュラサ)

言の葉の花や しげく咲かすなよ 元木まで枯らす ためしだいもの(デムヌ)

旅や浜宿り 草の葉ど枕 寝ても忘ららぬ 我親(ワヤ)のおそば

ほまれそしられや 世の中の習ひ 沙汰もない(ネ)ぬ者の 何(ヌ)役立ちゆが(タチュガ)

ほめられも好かぬ そしられも好かぬ 浮世なだやすく 渡りぼしやの

《仲風》語りたや 語りたや 月の山の端に かかるまでも

《仲風》そなた思ひに 身はやせて 二回(タマイ)ある帯の 三回(ミマイ)まきゆさ(マチュサ)

常盤なる松の かわることなさま いつも春こりば いるどまさる うれしさよ庭の 竹のふしぶしに 君が万代の いはひこめて


※表記は崩しているので適当な表記&意味&読み方は調べてください!! また増やそう